ハルノナナクサ・春の七草

1月7日に七草粥が食べられるようになったと考えられる。

献上七草籠と百花園
春の七草 墨田区都立向島百花園では開園当初(文化四年)より、園主が年末に籠に植えた七草をお得意様にお歳暮としてお届けしていました。
その慣わしが現在の七草籠の原型だと考えられています。
明治時代、その当時のお得意様の方々の中に九條家(後の大正天皇の皇后様となられました節子姫の御生家)がありまして、年末になると七草籠をお届けしておりました。
その後、明治33年に節子姫が大正天皇の皇太子妃になられると、七草籠を宮内庁にお届けしまして、妃殿下のもとにさしあげていました。
それが献上七草籠のはじまりで、毎年当園の職員が手作りで育てた七草を籠に盛り込んで、新年に皇室に献上しています。

一般には7日正月のものが七草と書かれる。現代では本来的意味がわからなくなり、風習だけが形式として残ったことから、人日の風習と小正月の風習が混ざり、1月7日に七草粥が食べられるようになったと考えられる。

名  前現在の名前科  名
芹(せり)せりセリ科
薺(なずな)ぺんぺん草アブラナ科
御形(ごぎょう)母子草(ははこぐさ)キク科
繁縷(はこべら)繁縷(はこべ)ナデシコ科
仏の座(ほとけのざ)小鬼田平子(こおにたびらこ)キク科
菘(すずな)蕪(かぶ)アブラナ科
蘿蔔(すずしろ)大根(だいこん)アブラナ科

春の七草 春の七草

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