しばられ地蔵尊は、業平山東泉寺南蔵院と号し貞和4年(400年前)林能法師により開創されました。
昭和4年旧本区中之郷(墨田区吾妻橋三丁目)から寺とともにこの地に移転して来ました。
江戸幕府第8代将軍吉宗(享保年間)の時代に、江戸南町奉行大岡越前守の名裁きで有名となり、盗難除け、足止め、厄除け、縁結びなど、あらゆる願い事がかなえられる、願い事のある人は、お地蔵様を荒縄で縛って、お祈りします。
また、お寺では年1回、縄解きの行事(縄解き供養)を行います。
南蔵院には、開運の鐘、聖徳太子堂、曼荼羅の庭などがあります。
また、毎年大晦日・元旦にだるま供養「結びだるま市」が開かれ、獅子舞やはしご乗りが披露されていましたが、最近は「はしご乗り」の披露は「しばられ地蔵」で開催されていません。
左の写真は地蔵さんが判らないくらい縄でぐるぐるまきにされている。
しばられ地蔵の由来は、寺のパンフレットによると
享保年間八代将軍徳川吉宗の治世、ある夏の昼下がり日本橋のさる呉服問屋の手代(使用人、『でつち』と番頭の中間の身分の者)が荷車に反物を満載して南蔵院の門前を通りかかった。ここらで一服と門前に荷車を止め境内の銀杏の木陰に涼をとるうちについうとうとと一眠りしてしまった。目がさめてみるとさあ大変、門前に置いた車がない、青くなって番所へ……
そこで当時名奉行の聞え高い大岡越前守忠相の直々の取調べとなった。
「寺の門前に立ちながら泥棒の所業を黙って見ているとは門前の地蔵も同罪なり直ちに縄打って召捕って参れ」地蔵はぐるぐるにしばられ車に乗せられて与力、同心に守られて江戸市中を引廻され南町奉行所へ……
物見高い江戸市中のやじ馬連中、どんなお裁きが始まるかと奉行所へなだれ込んだ、頃を見計った越前守は門を閉めさせ、「天下のお白洲へ乱入するとは不届至極、その罰として反物一反の科料を申付ける」鶴の一声、奉行所にはその日のうちに反物の山ができた。手代に調べらさせるとその中から盗品が出て、それからそれへと調べると、当時江戸市中を荒らした大盗賊団が一網打尽となった。越前守は地蔵尊の霊験に感謝し立派なお堂を建立し盛大な縄解き供養を行なった。
以来「しばられ地蔵」と呼ばれ盗難除け、足止め、厄除け、さては縁結びまであらゆる願いごとを聞いてくださる地蔵尊としてお願いする時は縛り、願い叶えば縄解きする風習が生まれた。今も幾百人ものお願いごとを秘めてしばられ続けている。